2003年1月1日水曜日

2003年のお年賀を発掘

2003年の新年&寒中お見舞いの文章

寒中お見舞い申し上げます

☆今回はジャンル別ではなく、地域別にして書きました。スペースの関係上端折っているため(毎度のことながら)、補遺をご希望の方は別途ご連絡ください。К~本、Ф~映画、Т~演劇。展覧会ではコンスタンティン・メーリニコフ展と「チャペック兄弟とチェコ・アヴァンギャルド」がよかったです。

Ⅰまずは私の一番のお気に入り「西アジア」編。
1.「酔っぱらった馬の時間」バフマン・ゴバディ監督(200年イラン)Ф
自然の厳しさと共に戦争・民族差別・経済制裁等々の人為的な要素による苛酷な現実の中で生きる子ども達が美しく、限りなく愛しい。両親を失い、若くして家長としての重責を負うアヨブの決然とした表情は「僕の村は戦場だった」「アンドレイ・ルブリョフ」のニコライ・ブルリャーエフのよう。彼に貴重な助言をするイラク側のカフェの少年(この子も多分クルド人)の方が私の好み。
2.同監督の「わが故郷の歌」(2002年イラン)Ф
わがままなおじいちゃんが元妻を訪ねるロード・ムービーで、一昨年観た「グレイマンズ・ジャーニー」(初恋の人探し)に似ている。イランのおじいちゃんの間ではセンチメンタル・ジャーニーが流行っているのだろうか。強引に付き合わされる息子達はインド映画かと見紛うような太鼓腹のおじさん。イラン・イラク戦争、湾岸戦争、その後も続いている米英によるイラク空爆、難民、至る所が埋葬場所になっている谷、劣化ウラン弾や生物兵器による被害。忘れてはならない現実の重さ、歌と踊りの賑やかさ、独特のユーモアが絶妙のバランスで配合されている。息子が授からないからと10人も妻を持ち、更に求婚するおじさんに対して「男の子が欲しいなら、この難民キャンプに孤児が沢山いるわ。養子にしたらいいでしょう、一人でも二人でも。」ときっぱり断るボランティア女性は前述のアヨブ同様威厳に満ちている。おじさんは「一度に息子が二人も出来た」と無邪気に喜ぶ、全然悪びれていない(しかも美少年を選ぶのだ、これが)。女の孤児は養子にもらえず新たな問題も起こってくるではないかとは思うが、この男性の身勝手さへの痛烈な批判は見事。
3.「遥かなるクルディスタン」イエスィム・ウスタオウル監督(1999年トルコ)Ф
ゴバディは自身がクルド人で、クルド人の生活を迫力の映像で誇り高く描くが、こちらイエスィムはトルコ人女性。自国トルコでのクルド人差別を真正面から描く。冒頭、サッカーの試合の後、興奮した群集がクルド人を(と間違えて肌の色の濃い主人公をも)襲う。サッカー好きの、特にあの攻撃的で速くてタフなトルコのサッカーを愛する者には、目を背けたくなる場面。しかし彼女はトルコの醜く残酷な部分を決して隠さない。イスタンブールもクルディスタンも、街並みもそこに生きる人々も、なんて美しく、なんて悲しいのだろう(と加藤登紀子氏と同じ感想になってしまうのであった)。主人公、友人、脇役まで含めて、男性が実にいい顔をしている。
4.『ハイファに戻って』ガッサーン・カナファーニー著奴田原睦明訳(『現代アラブ小説全集7』河出書房新社より)(パレスティナ)К
NHKFMシアター「中東の文学シリーズ」でドラマ化、再放送もあるはず。ハイファから追われたパレスティナ人夫婦が十数年たってようやく故郷に戻り生き別れた息子と再会すると、彼はイスラエル軍兵士になっていた。祖国についての激しい言葉の応酬があり、結局は敵として対峙し、別れる実の親子。この全集に収録された作品はどれも悲しさに満ちている。『悲しいオレンジの実る土地』はもしかしたら映画化されているのだろうか、読むと情景がいちいち目に浮かぶ。
5.「プロミス」ジャスティーン・シャピロ、B.D.ゴールドバーグ、カルロス・ボラド監督(2001年合衆国)Ф
エルサレム周辺の、パレスティナ・ユダヤ双方7人の子どもに取材したドキュメンタリー。当たり前だが登場する子どもは可愛い。短距離の選手、ファラジのビデオを見たユダヤ人の双子ダニエルとヤルコは「会ってみたい」と言う。自由な家庭環境で育った彼らは言うこともやることも「普通」。残念ながら、双子以外のユダヤ人、聖職者を目指すシュロモや入植地に育ったモイセは大人の論理をそのまま持ち出し、会おうともしない。パレスティナ人の方が考えはまともだ。会って話し合ってみるべきだと口々に言う。マハムードはブロンドに青い目で、日本人の感覚だと全然「アラブ人」には見えない。彼は執拗にユダヤ人には会いたくないと言う。エルサレム郊外の難民キャンプ(ここで育ったサナベルは「エルサレムには一度も行ったことがない」)で双子を迎えるファラジは念入りに髪に櫛を入れ、コロンまでつけて、まるで彼女を待つといった雰囲気。双子はパレスティナの子ども達とあっという間に打ち解ける。「ワールドカップはどこを応援する?」「ブラジル」「僕も」一緒に食事をし、サッカーに興じ、幸せな時間が流れる。状況は悪化している。今では「どうせいつか死ぬなら自爆してもいい、それが同胞のためになる可能性があるなら」と口走る子もいるとのことで、悲しいことだ。今の情勢ではもう互いに会うことは出来ない。(渋谷・アップリンクファクトリーで上映中。BOX東中野ではありません!)
6.「ニュースタイム」アッザ・エル・ハッサン監督(2001年パレスティナ)Ф
女性ジャーナリストが自宅周辺で遊んでいる4人のパレスティナ人少年と知り合い、その日常を撮ったドキュメンタリー。彼らの行動はまだまだ子どもらしく微笑ましい。しかし不穏な空気も。テロ、報復の銃撃、投石、またも銃撃、葬儀・・・。少年達の友人もイスラエル軍の銃弾に倒れる。悲しい。悔しい。きっとこんなところから憎悪が芽生えていくのだ。しばらくその地を離れることになった監督に「また会えるかな」と一人が尋ねる。「4年後に誰も死んでいなくて国外移住もしていなかったら、また会おう、約束だよ」と別の少年が言う。「一人でも欠けていたらだめだよ」その約束は果たせるだろうか。ますます悪くなるパレスティナ情勢に心が痛む毎日。(5.より後のより厳しい情勢になってから撮られたと思われる。この作品の方が「プロミス」というタイトルにふさわしいかもしれない。)

Ⅱワールド・カップではいけなかったが、文芸では復活の兆しを見せる旧ソ連圏
1.『バルト諸国の歴史と現在』小森宏美・橋本伸也著東洋書店К
今まで美化して、そして一緒くたに語られがちだったバルト3国のロシア革命後の独立(最初に独立を承認したのはソ連なのだ)あたりからの歴史と91年の独立回復以降の問題点(国内の少数民族に対する処遇等)をまとめている。ブックレットなので本当にコンパクトではあるが、『ディナモ・フットボール』『伝説となった国・東ドイツ』と並んで「こんな本が欲しかった」という逸品。
2.ロシアアニメ短編プログラムより「ネコとピエロ」ナターシャ・ゴロワノワ監督(1988年旧ソ連)Ф
ぶーたれていて可愛げないところがなんとも愛しい、ピエロと一心同体・・・だけど、素直に甘えられないシャイなネコ。意外な、そして心温まるラスト。
3.東京フィルメックス映画祭「60年代のロシア映画特集」より「夕立ち」マルレン・フツィエフ監督(1966年旧ソ連)と「再生の街」ウラジミル・ヴェンゲロフ監督(1965年旧ソ連)
「特集」と銘打つからには4,5本は揃えて欲しかった。使い古した言葉ではあるが、古きよきモスフィルムの世界を満喫できる2作品。「夕立ち」は同監督の「私は二十歳」よりもメランコリック。一見申し分ないフィアンセを振ってしまうヒロインの行動、私にはわかる。「喜寿は人生の黄昏ではありません!」と力強くおっしゃっていた監督にはどうかこんな映画を再び撮っていただきたい。ヴェンゲロフ監督は故人。戦争により失明した主人公が酒におぼれ、周囲の人の厚意も踏みにじって、どうなることやらと思わせるが、戦友との再会で更生してゆく。戦争で荒廃していた街並みも復興してゆく。別れた妻へ慕情を募らせるのは甘い(それなら一緒にいるときに更生すれば良かったのだ)が、まあ、許します。
4.フォメンコ工房「戦争と平和」(ロシア)Т
小説としてはあまり好きでなかったのだが、この舞台には体に震えが来るほど感動した。昨年は舞台を比較的多く観ることができ、休憩時間にワインとヴォトカを振舞われダンスを強要された(?)ルーマニアのラドゥ・スタンカ劇場の「白痴」もおもしろかったが、最高の作品というと、これ以外ない。「なぜ戦争に行くのか」を執拗に問いかける3時間余の作品。
5.『ロシア建築案内』リシャット・ムラギルディン著TOTO出版К
「こんな本が欲しかった」がもう一冊。写真・地図・資料ともオールカラーで詳細で美しい。読むときっとロシアに行きたくなる!
6.「変身」ヴァレーリー・フォーキン監督(2002年ロシア)Ф
主演のエヴゲーニー・ミローノフの特撮も特殊メイクも無しの虫の演技はロシア演劇の底力を見せ付ける。旧ソ連伝統の、しかし久しぶりのロシアの本格文芸作品。

Ⅲ「巨匠」より「鬼才」だった中・東欧
1.「ノー・マンズ・ランド」ダニス・タノヴィッチ監督2001年スロヴェニア他Ф
敵にも礼儀正しく握手を求めるお人好しはセルビア人、何かと殺気立っていて義理人情に厚い男前がボスニア人(これは監督が敢えて「普通の感覚」と逆にしたのだろう)。もう一人地雷の上に寝かされて動けないボスニア兵。国連のPKOや各国のマスコミ、地雷除去の技術者が来るけれど、結局何の助けにもならない。あるのは虚しい死のみ。
2.「クルテク~もぐらくんと森の仲間たち」ズデネック・ミレル監督19571999年旧チェコスロヴァキア~チェコФ
福音館書店「もぐらとずぼん」の原作アニメ(絵本よりアニメの方が先だった)が今になって観られるとは、懐かしくて、嬉しくて、早速初日初回に観に行った。説明は不要。観ている間はただただ幸せでいっぱい。もぐらくんは思っていた以上に可愛い声で「ヘレ、ヘレ!」(「ほらほら」?)としゃべる。今回はわずか7本の上映だったが、全部で50数本のシリーズなので、どんどん上映してください。
3.『伝説となった国・東ドイツ』平野洋著現代書館К
様々な年代・階層の旧東独の人たちを取材し、丹念に分析している。でも厳密な学術的な報告書ではないし、文体はよい意味でとても軽く、読みやすい。名著である。東独時代には職場の人の誕生日ごとに一日中パーティーをしていたと言う。(これだけ読むと案外いい国だったのでは、という気がする。「えっ、西ではやらないのか、と気がついて数時間で済ませることにした」と実は今でもしぶとく飲んでいる旧社会主義体制感覚、あっぱれ!)彼らの考えていることは突き詰めていえば「東に生まれて大損した!」移民などより自分たちこそ「ドイツの富」を配分してもらう権利があると思っている。だから移民排斥に走るのか。著者は「殆ど憎んだ旧東ドイツの人たちに」と記す。
4.「チェコアニメ新世代」より「魔法の鐘」アウレル・クリムト監督1998年チェコФ
「チェコアニメ新世代」の作品は総じて明るいと評判で、中でもこれはパワフルなミュージカル仕立て。他の作品は親子で見ていると若干焦るようなアダルト場面があるが、これなら大丈夫!飲んでばかりで全く役に立たない(別に邪魔にもならない)ロシア人、鐘の価値を知らずに大砲にしてしまうマジャール人、「ニャニ・ニャニ・ニャーニ」と肩組んで踊ってばかりの笠をかぶった中国人。こういう民族の描き方に文句が来なければいいが。
5.Super8」エミール・クストリッツァ監督(2001年ドイツ・イタリア~ということになっているけれど、紛れもなくユーゴスラヴィア魂映画)Ф
クストリッツァは映画を撮るので超多忙なのかと思っていたら、「ノー・スモーキング・オーケストラ」(「アンダーグラウンド」や「黒猫・白猫」でがんがん演っていたあのバンド)のギタリストもやっていて、「あれ、おもしろかった?じゃあ今度は音楽だけで映画を作っちゃったからね!」というのがこの映画。やっている本人たちも楽しいし、見ているこちらも文句なく楽しめますわ。特に好きなのはさびの部分で「ユー、ゴ、スラ、ヴィア!」と連呼する(曲名がわからなくてすみませんが、サッカーの試合でもよくやっている)曲。クストリッツァもサッカーのユーゴスラヴィア代表のユニフォームを着て気持ちよさそうに歌っている。あ~あ、でももうすぐユーゴスラヴィアの国名は消滅してしまうのだ。それに清水市も。サボー・イシュトバーンの「太陽の雫」、ヤン・スヴィエラークの「ダーク・ブルー」など巨匠の作品が期待はずれ(と言うとかわいそうだが、前作より手を抜いた感が否めない)だった中で、唯一期待通りだったのが、鬼才クストリッツァであった。※「ダーク・ブルー」は本の方はいいと思う(ズデニェク・スヴィエラーク著・角川文庫)。しかし、この時期にイギリス空軍で闘ったチェコ人パイロットを取上げるのは「この前の戦争でも協力していたからさ、NATOに入れてよ」と言っているみたい。

Ⅳその他のヨーロッパと北中南米と東アジア(←要するに「その他」)
1.「ブレッド&ローズ」ケン・ローチ監督(2000年イギリス)Ф
「パンだけではなく、バラも」は1911年マサチューセッツ州の移民労働者が掲げたスローガン。ヒロインはメキシコから不法入国してカリフォルニアの清掃会社で働く。有給休暇も健康保険もなく、仲間を売るように強要され、常に首切りと紙一重の無権利状態に晒されている移民労働者達は組合に入って立ち上がる、90年前のあのスローガンを掲げて・・・なのだが、まともな労働争議が絶えて久しい日本で育った私は、本社ビルのロビーにプラカードを持って立てこもり、会議や商談の場にもシュプレヒコールをあげながら押しかけるといった戦術は、「いくら争議行動だといっても、刑事免責の規定にあてはまるのだろうか?民事免責の適用はどうなるのだろう?」と、はらはらするというより違和感すら覚えた。これがラテン系のノリ?それとも本来、争議というのはこういうものなのか?(皆すぐに釈放されたところを見るとやはり正当行為なのか。)奨学金まであと一歩だから危ない橋は渡りたくない苦学生、「英語は未だ苦手、今職を失いたくない」と腰の退けているスラヴ系移民(でも仲間は裏切らない)、仲間を売り、体も売って職を得ていたヒロインの姉、ヒロインも肝心なときに色恋にのめり込むし(「バラも」はそういう意味ではないだろうが)、苦学生の友人を援助するためとはいえ強盗なんかして。優秀な組合活動家といえるような人物は実はあまりいない。でもやるときはやるのが彼らマイノリティーの強さだろうか。
2.アキ・カウリスマキ(フィンランド)のプレスリリース
ニューヨーク国際映画祭に招待されていたイランのキアロスタミ監督が合衆国のビザ発給拒否という信じがたい措置により参加を断念。フィンランドのカウリスマキ監督は映画祭参加拒否で、これに抗議。声明はユーモアを交え、彼らしさを如何なく発揮している。特に「キアロスタミがこんな目に遭うくらいなら無名の人々はどんなことをされているだろうか」と名もなく貧しく美しくもない人々を案じている部分は「ラ・ヴィ・ド・ボエーム」「愛しのタチアナ」「浮き雲」等の彼の作品を髣髴とさせる。そして「一市民として合衆国のジュネーブ条約違反を告発する」ときっぱり宣言する行動力。映画祭に参加した他の映画人達は何らかの行動をとったのだろうか?それにしても、キアロスタミの優しさ、カウリスマキのユーモア、合衆国にはこれらが今、最も必要なのに。映画祭で上映されるはずだった新作「過去のない男」は恵比寿ガーデンシネマで「陽春公開予定」とのこと、必ず観に行きます!「もしかすると彼の作品よりおもしろい」という、この声明全文が読みたい方はお知らせください。差し上げます。

Ⅴ最後に日本 「我が青春のサッカー」の終焉~エスパルスの大榎克己さんの引退表明
昨年の暮れ、清水の友人から「Наконец」(「遂に」という意味のロシア語)というタイトルでメールが届いた。5年位前から覚悟はしていたのだが、今期はフル出場していることが多かったので、もう一年くらいは・・・と勝手に期待してしまっていた。翌日、それが新聞記事として活字になっているのを見ると、一つの時代が終焉したことをはっきりと感じた。これからどうしたらいいのだろう?83年以来、ずっとファンだった。美男はイランだ、ユーゴスラヴィアだ、グルジアだとうるさい私であるが、サッカー選手については殆ど浮気しなかった。清水の高校や暁星、室蘭大谷の選手の追っかけをし(当時Jリーグは未だ存在しなかったのである)、その後も人並み以上には選手のチェックをしていたけれど、大榎さんと同程度と言えるほどの魅力を感じたのは93年に生で見たピクシー(ドラガン・ストイコヴィッチ)と83年生まれのワールドカップ・プレイヤー、ドミトリー・シチョフ(前号「ワールドカップ編」参照)、この二人のみ。大榎さんに先立ってピクシーも一昨年引退してしまったから、残っているのはシチョフ君だけ。でもこの子は問題児。契約問題でもめ、早速4ヶ月の試合出場停止中。これだけ大騒ぎしたからにはスペインリーグ(できればソシエダかセルタ)に行って活躍して欲しいものだ!欲しがっていたミランでもいい。ミランのシェフチェンコ、インテルのレコバ、ユベントスのネドヴェド、フェネルバフチェのリュシュトゥー、曲波(所属チーム不明)、ダエイ等々の活躍も祈る。日本人選手は誰を応援するべきかまだわからない。チームとしては引き続きエスパルスとFC東京だが。

★見逃してしまった作品(ご覧になった方、内容・ご感想を教えてください、悔しいけど。)
・フォメンコ工房「狼と羊」(最初は「戦争と平和」よりこれを観るつもりだった)Т
・ジャファル・パナヒ「チャドルと生きる」(「白い風船」の監督が社会派映画を撮るとは思わなかった。ヴェネチア映画祭金獅子賞受賞)Ф
・ケン・ローチ「ナビゲーター~ある鉄道員の物語」(「ブレッド&ローズ」より観たかった)Ф
・ジャムシェド・ウスモノフ「右肩の天使」(東京フィルメックス映画祭審査員特別賞受賞)Ф
・チャウ・シン・チー「少林サッカー」(カレン・モクが好き)Ф
・「セプテンバー11」(11カ国11監督の各119秒の作品のオムニバス。TBS911日深夜に放映したのだが、録画し損ねた。獅子座流星群を見逃したような大失敗!顔ぶれが凄い。サミラ・マフマルバフ(イラン)、ケン・ローチ(イギリス)、ミーラー・ナーイル(インド)、ユーセフ・シャヒーン(エジプト)、今村昌平(日本)等々。)Ф

今回もいろいろ同封しておりますが、
・映画「プロミス」~チラシにはBOX東中野で上映と書いてあるが、現在は渋谷のアップリンクファクトリーで上映中です。

・ブッシュ氏宛のはがきは出来るだけ早く投函していただくようお願いします。1月末に戦争を始めるという話があるので、心配です。既にお願いしてあって、もう投函されたという場合は、どなたかにお願いしていただければ幸いです。



補遺
その後観たもの
ケン・ローチ「ナビゲーター~ある鉄道員の物語」
 恐ろしいラストだが、ケン・ローチ作品の中でも良いものだと思う。
・チャウ・シン・チー「少林サッカー」
 サッカー映画の中でも大好き。
・「セプテンバー11
 冒頭のサミラ・マフマルバフのが一番好き。