С Рождеством и С Новым годом!
寒中お見舞い申し上げます
☆「思いがけなく」
という、政治囚だった人が家族の元に帰り着いた瞬間を描いたイリヤ・レーピンの絵画がありましたが、ここでは昨年立て続けに起こった予想外の出来事を。夏のお便りのときにも書きましたが、私は多くの人が「全く予想外」とした、ユーロ2004でのギリシャ優勝を当て、猛暑を乗り切れるだけの「アイスクリーム権」を獲得しました(まだ残存、冬にアイスクリームもよいものなので、少しずつ行使していくつもり)。ただ、私の予知力も下記のような実用的な分野では殆ど発揮できませんでした。
1.ジンバブウェ編~3人目のフォスターチャイルドが「卒業」
11月半ばに2004年の成長レポートが届き、こちらからの手紙を「今度は写真もお送りします」として送ったら、それと入れ違いで突然やってきた12月1日付の「終了通知」。18歳になって「援助対象から卒業」となったのです。
彼女は私の3人目のフォスターチャイルドで、ジンバブウェ内の最大のエスニックグループ、ショナ民族であったそれまでの2人と違って、ンデベレ民族で(といっても、この二民族がどのように違うのかはよくわからない。人名や地名の語感は明らかに異なりますが、外見は写真で見る限り同じように可愛かったので)いろいろと興味がそそられたのですが、このところはあまり手紙を送っていなくて申し訳なく思っていました。頂いたばかりの成長記録に添えられた写真では、背が伸びて母親と同じくらいになっており、こんなに早く成長するなんて・・・こちらもいつのまにか年を取っているわけです。
彼女がこれからもよく学び、学校を終えて社会に出てからは人びとのためによい働きをすることができますように。
4人目のフォスターチャイルドは、再びショナ民族の女の子で、1996年生まれ。私が「コーリャ~愛のプラハ」や「コーカサスの虜」を東京国際映画祭で観た年。つい最近のように感じます。
2.イラン編①~担当ケース、謎の「終了」
これまで何度か皆様にご協力をお願いしてきた(多くの方には12月に駐日大使宛の要請書の署名・投函をお願いしたばかりでしたね)2人の「良心の囚人」について、これも突然「ケース終了」の通知がアムネスティ本部から届いていたことが年の瀬も押し迫ってからわかりました。
イランの「良心の囚人」は、シリア共産党(国内派)員(無事釈放)、ギリシャの良心的兵役拒否者(EC加入のための刑法改正により釈放)、エジプトのイスラーム急進派の医師(刑期終了?)に続いて、4件目の担当ケースでしたが、今回はこれ以上の情報入手が困難なことによる当該地域からの調査部門の撤退であるらしく、これまでのように「晴れて終了」ではないことが何とも残念です。自由権の中核であるはずの思想信条の自由、身体の自由の回復が確認されないまま、そんなことでケースを終了してよいものなのか、私自身は納得がいかない気持ちで一杯ですが、個人の一存ではどうにもなりません。ご協力いただいた皆様には大変申し訳なく思っています。私としても、今までで最も力を入れて取り組んだケースで、イランの情報を集めるのにせっせと新聞の国際面を読み漁ったり方々の図書館からイスラーム法の本を借りてきたり駐日大使館主催の文化行事に参加したり、またハタミ大統領や閣僚達、駐日大使への要請を多くの方々にお願いしました(無論、なすべきことをし尽くしたとは言えず、もっとやりようがあったのでは、という思いは大きいですが)。皆様、どうもありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
この後は・・・アムネスティの場合、フォスターチャイルドのようにすぐには次が決まらず、しかも希望が容れられたためしがないのです。個人的にはアラビア語圏をやってみたいのです。せっかく勉強を続けているので。
♪補遺:その後のアラビア語状況(と、書くほどのこともないのですが)
現在は週1回のテレビ講座と、人名をイラン映画(東京フィルメックス映画祭ではレバノン映画も)のクレジットロールで時々お勉強。格や数字の変化や動詞の活用の複雑さに既に落ちこぼれ気味。このお正月休み、一日一課の復習に充てました。文法も発音も、アラビア語の難しさはロシア語の比ではありません!しかし、リスニングについてはロシア語を始めた頃よりも多くを聴き取れているような気がします?!ロシア語のニュースってやたらと猛スピードだし、ロシア語を始めた当時に日本で公開されたロシア語の映画(А.С.監督やС.Б監督の作品)は台詞をはっきり言わないようなものが多かったせいか。「どうぞ」「ありがとう」等基本的な単語もアラビア語の映画の中での方がよく言われているように思います。
3.健闘を称えたい~旧ソ連圏編
①今注目のウクライナ、といっても「オレンジ革命」ではなく、サッカーのこと
UEFAカップ決勝トーナメント32チーム中、ドニエプル・ドニエプロペトロフスク、シャフタール・ドネツク、ディナモ・キエフとウクライナが3チーム残りました。ACミランのFW、アンドリー・シェフチェンコはFIFA年間最優秀選手の最終候補に残りました。そして、ワールドカップのヨーロッパ予選では目下グループ1位。初出場を目指して後半戦も気を抜かずに、と祈っています。
②『木漏れ日のラトヴィア』黒沢歩著新評論
日本語教師の若い女性がよくぞここまでこの国の人々の中に入りこんだと感心。EU加盟申請の際には主要民族以外の居住者(「ノンシティズン」或いは「ロシア語系の人々」)の処遇を巡ってバルト三国中最も懸念されたラトヴィアを、手放しに褒め上げるでもなく、手厳しく非難するでもなく、冷静に描写している点が出色の出来。カザフスタン出身の朝鮮系の女性教師の話が特に印象的。こういった本が、例えばウクライナ関連でもないでしょうか。
③「やさしい嘘」ジュリー・ベルトゥチェリ監督(フランス・ベルギー)
祖母役のゴランタンは史上最高齢(85歳)での女優デビュー、現在91歳、あっぱれなグルジアのグランマ(元貴族か?)を演じる。映画中では息子に先立たれる(出稼ぎ先のパリで事故死する様子は映画中には出てこないが、私の大好きなダルデンヌ兄弟の出世作「イゴールの約束」を想起せずにはいられなかった)のですが、現実でも彼女はベラルーシ(出生当時ポーランド領)の故郷で両親をはじめとする一族の殆ど全員をドイツ軍によって殺されるという悲劇を経験しているのです。それでもなお、「長生きすることは素晴らしい」と思わせることのできる、彼女の顔に刻まれたしわの数々、ゆったりとした動作に、感じ入るばかり。
4.ロシア編~カシタンカ(栗ちゃん)との再会
表紙に描かれた栗色の犬、カシタンカの可愛いこと!児島宏子さんが訳を、ナターリヤ・デェミードヴァさんが絵を、担当された宝石のようなすてきな本『カシタンカ』(アントン・チェーホフ著未知谷刊)。
実家で「『くり色の犬』の新訳が出たの」と言っていたら、その後『くり色の犬』を持ってきてくれました(樹下節訳日本児童文庫1958年)。カシタンカを「くり公」と訳しているこの本は、母の代からのお気に入りの一冊で、私にも読み聞かせしてくれていたのです。母にとっても、私にとっても、この本がチェーホフとの出会い。
再会したカシタンカは、つぶらな瞳でじっとこちらを見上げるキツネ風の犬。また、外見は「大きな白い猫」としか表現されていないフョードル・チモフェーヴィッチは立派なペルシャ猫。血統書つきで、だから父称をつけて呼ばれるのね(お父さんがチモフェイなのです)。
この『くり色の犬』には他にも子どもが登場するチェーホフの短編が収録されています。中でも『ワーニカ』は、ナターリヤ・オルローワがガラス絵の手法で胸が締め付けられるように美しいアニメーションにしていて(「我が悲しみを誰に伝えよう」)忘れがたい佳作。
実はデェミードヴァさんの『カシタンカ』も元々アニメ製作が先行しており、完成の暁には是非とも日本での公開を望みます。
5.カフカ編~単なる天才的変人ではなかった作家
今まで私にとって「世界に冠たるロシア演劇」と言えば、ユーゴザーパド劇場であり、モスクワ室内歌劇場でありました。伝統的なリアリズムというより、意表をつく演出で舞台全体をカーニヴァルのように演じきるタイプ。が、一昨年フォメンコ工房の舞台「戦争と平和」や映画「変身」(ヴァレリー・フォーキン監督)を観たあたりから、俳優の演技力そのものにもただもう感嘆して引き下がるしかないと感じています。派手なことは何一つなく、じっくりしっとり丁寧に、これぞチェーホフ劇、登場人物の一人一人を愛しく共感できる人物として描くマールィ劇場の「三人姉妹」で止めを刺したかに思えます。おまけにこれらの魅力は遅効性で、思い返すたびにじわじわくるのです。
昨年ようやく映画「変身」が一般公開されました。思い起こし、感動が甦ってしまうのは、主役のミローノフの迫真の演技、上司役レオンチェフの存在感、大化けしそうな妹役の女優の清新な魅力、地味だが、いや地味だからこそ役柄を全うしている父と母を演じた俳優達に漂う気品。
そして私はここでもう一つ大きな発見をしたのです、原作者カフカその人について。『カフカを読む~池内紀の仕事場3』(池内紀著みすず書房)は、カフカが法学部を卒業して司法修習もし、帝国の法律に精通した優秀な官吏であった一面を、平易にしかもおもしろく、私に教えてくれました。実際に携わっていたのは、当時まさに制度が整備されつつあった労働保険についてで、労災のための保険の掛け金を安くごまかそうという工場主たちとやり合う中で、彼はそこらのプロレタリア作家よりもよほど労働者の実態を知り抜いていた、といいます(彼の手による労働災害についての報告書も残っている、正視できないような図まで付されて)。そうやって働きながら、あの変な小説を著したのですが、そこに描かれているのが何ものだったのかは、鈍い私には今までわかっていなかったのですね。池内先生、ありがとうございます。
6.旧チェコスロヴァキア編~やっと会えたね、幻の名作
①『チェコ怪奇骨董幻想箱』の変な映画群から、オルドリッチ・リプスキー監督「アデラ~ニック・カーター、プラハの対決」(1977年)「カルパテ城の謎」(1981年)
観客を馬鹿にしているとしか思えない、せこくてばればれのギャグ(しかもしつこい)、本末転倒になっている無意味に大掛かりな小道具類。でもこれが一頃流行ったインド・マハラジャムービーやアジア諸国からは「今頃ブームだなんて10年遅いよ」と言われている韓流ドラマよりおもしろく、ためには全然ならないと、絶対の自信を持ってお勧めできる旧チェコスロヴァキア映画、その頂点をなすのがこのリプスキーの作品群。今はなき映画館「有楽町シネ・ラ・セット」に最初に足を踏み入れたのが「レモネード・ジョー」でして、それ以来観た人全てが絶賛する伝説的カルトムービー「アデラ」を観られるのをずっと心待ちにしていました。遂にその日が迎えられた、何という幸せ!
②ズデネック・ミレル「クルテク」「コオロギくん」シリーズ他とカレル・ゼマン「ほら男爵の冒険」
「どうでもいいことに手間隙かける」という点では他の追随を許さないチェコ映画(前項を大いに参照のこと)で、そのローテク特撮の限りを尽くしているのが何だかとっても意味があることのように思えてくる、それが以前紹介した「盗まれた飛行船」「彗星に乗って」「前世紀探検」「狂気のクロニクル」のカレル・ゼマンの実写(+α)映画「ほら男爵の冒険」(1961年)。言われていたとおり確かにこれが最高傑作です。如何にお金をかけて精巧なCGを使っても敵いっこない至福の贅沢を感じることの出来る冒険映画。おすぎとピーコ風に言えば「コレも観ときなさい!」ですね。
一方のミレルのアニメーションは、素直で可愛らしくて、「幸せになるためのチェコアニメ」決定版。懐かしいもぐらのクルテクに負けず劣らず魅力的なのがヴァイオリンを手にしたコオロギくんシリーズ。虫の声を愛でるのは東洋人の専売特許ではないのだ!ミレルの作品は当然世界中で愛されているけれど、唯一アメリカでは不発だったとのこと。このよさがわからないアメリカというのは、やはり変なのでは??(実は東京で公開されたときもあまり人が入っていなくて、日本もアメリカ同様おかしいのかも?と思い始めています。)
7.アメリカ合衆国編~ブッシュ再選は予想できたけれど
私が正面切ってこの大国について言及するのは恐らく初めて。アメリカは、その歴史も文学も演劇も映画もスポーツもその他諸々の分野も私の関心を引かなかったので。今でも積極的に知りたいという気は起こらないのですが、大統領選の結果等について「事務所だより」で数人が取り上げており、特に「キリスト教原理主義」「福音主義右派(evangel right)」と称される思想・宗派については、問い直さずにはいられなくなったのです。福音とは、聖書とは、信仰とは、平和と解放を想起させるもの。だからバルト、ボンへッファー、ヴァイツゼッカーらドイツ系統の著作であれば、比較的すんなりと読み進められる(真面目に研究対象として捉えたら決して親しみやすくはないでしょうが)。一方、アメリカ福音主義右派については直感的に違和感を持ってしまう。けれど、このまま無関心であったり無知であったりすることはもはや許されないのではないか。そういうキリスト教の潮流がブッシュを再選させる原動力となり、大国の権力中枢にあって戦争政策(彼らが言うところの「世界救済運動」)を熱狂的に支持しているのは、紛れもない現実なのだから。
「知らなければいけない」とは言っても、原理主義バリバリの人といきなりお知り合いになって論争する、というのはちょっと・・・でしたので、まずは手当たり次第関連書籍をかき集めました。
『囚われの民、教会~南部バプテストの社会的姿勢に見る、教会と文化の関係史』(ジョン・リー・エイミー著金丸英子訳教文館)、アメリカの南部バプテスト教会史研究の非常に分厚い本。宗教史というより、アメリカ南部の歴史を知るのにもよい1冊だと思います。その他『現代アメリカ神学思想』(宮平望著新教出版社)、『宗教に揺れるアメリカ~民主政治の背後にあるもの』(蓮見博昭著日本評論社)、宗教ばかりで辟易してきた時のために『アメリカ憲法は民主的か』(ロバート・A・ダール著杉田敦訳岩波書店)。これらはいずれも私にとっていささか気の乗らないテーマであるため、読み終えておりません。さしあたり現時点での結論は、アメリカについての基礎知識の乏しさとともに、聖書そのものに対する理解の浅さが最大の壁であることがわかったので、「やはり聖書自体をよく読まなければ」でした。(次回に続く・・・恐らく)
8.トルコ編~ヨーロッパの中の西アジア
「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」(フランソワ・デュペイロン監督2003年フランス)はパリの裏通りに生きるトルコ人を登場させていますが、「特集・トルコ=ドイツ映画の作家たち」の一本で、唯一日本語字幕付(助かった!)の作品「見知らぬ街へ」(アイシェ・ポラート監督1998年ドイツ)は移民2世世代が<ドイツの中のトルコ>を描いた興味深い作品。既に基調はヨーロッパ、「マーサの幸せレシピ」等との相似が指摘できるでしょうか。
ナイトクラブの歌手、ゼキ(なぜかニューハーフ)は巡業しつつ知人の忘れ形見ツェナイ(悩めるローティーン娘)の母を捜す旅に出かける・・・。最近のトルコ関連の映画というと、ヨーロッパから故郷トルコへ、イスタンブールから田舎へ、と旅するものばかり。誤解を恐れずに言えば、いずれも「中心→辺境」という方向性。ヨーロッパの地に深く根を下ろしていても、今一度原点に還り自らの存在を確認しなおす作業が行われる、ということのよう。イランの移民2世を描いた「ガラスの羽」(レザ・バケール監督2000年スウェーデン)と比較しても、出自への思いはより強力に感じられます。
9.イラン編②~予想していたにもかかわらず、予想以上に凄かったイラン映画
東京国際映画祭は低調だったが(「ミラージュ」(ズベトザル・リストフスキ監督2004年マケドニア)主演のマルコ・コヴァチェヴィチは、ねびゆかむさまゆかしき人かな、正統スラヴ系美少年。サッカー選手ドミトリー・スィチョフをもっと繊細にした感じ。カザフスタンの「スキゾ」で男優賞受賞の少年は「自由とパラダイス」のサーシャとかぶるのでパスだが監督の女性は可愛らしい感じだった)、傑作が揃ったのが東京フィルメックス映画祭。地雷原に生きるクルド人の子ども達を冷徹に撮った(幻想的な要素もあるが、それが苛酷な現実描写から目を逸らせようとしているわけではない)「Turtles can fly(原題)」(バフマン・ゴバディ監督)と、違法出国を試みる人々を撮った「終わらない物語」(ハッサン・イェフタパナー監督)は、きっと感動するだろうと最初から覚悟していたのに、そんな予想をあっさり上回り、呆れかえるほどに、やってくれました。「Turtles can fly」は岩波ホールで公開予定。絶対観ましょう!
この2作品や「少女の髪どめ」(2003年夏に紹介)、「午後の五時」(2004年夏に紹介)などに共通するのは、イランの少年(或いは青年)の思いが「ほのかな恋」などと名づけるにはあまりにも一途で、命や自らの存在を簡単に投げ出し、無謀と言ってもよいものであること、そしてそれが報われないこと。
イランの2作品に比べるとずっと地味ではありますが、イスラエルの巨匠アモス・ギタイの新作「プロミスト・ランド」も日本人は観ておくべき作品だと思います。人身売買によって旧ソ連地域からイスラエルに連れてこられた女性達をドキュメンタリー風に撮っており、台詞の約1/3はロシア語で(他にはアラビア語・ヘブライ語・英語)、しかも非常に印象深い使われ方をしています。
「プロミスト・ランド」上映後、ギタイ監督がある質問(ネタばれになるので書きません)に答えて「日本の監督もこのテーマで映画を作るべきだ」ときっぱり言い切っていたことを付記して、同封のアムネスティのアピールにご賛同・ご協力いただきますことをお願いいたします。
末筆ながら、今年もよろしくお願いいたします。
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