2011年3月6日日曜日

「頂点(ゼニット)」(2008/06/27 23:02:19)

ゼニットの関連話を二つ。

その一
TVロシア語講座4月号の巻末読み物に「甦れ、ロシアサッカー!」を書かれた(おかげで買うつもりなかったのにTVのテキストを買ってしまった私)服部倫卓先生が、「好き好き大好きルーマニア」では、「あれ(「甦れ、ロシアサッカー!」)はあくまでも営業エッセイ」で、実は好きなのはルーマニア代表だ、な~んて、おっしゃっていて、ひどいわ!服部先生。上にも書いたけれど、服部先生のエッセイがあったから4月号買ったんですからね!と、思いつつ、私自身ルーマニアにもちょっと期待を寄せていたので、それほど恨めしくは思いませんでしたよ。
そして、ルーマニアが惜しくもグループリーグ敗退を喫し、逆にロシアがベスト4という結果に終わったユーロに対して、服部先生の最新のエッセイは・・・:「アルシャヴィンと黒川紀章を結ぶ線」
あのねえ、服部先生!!・・・「アルシャヴィンのことなんか、全然知りませんでした。」わはははは!思わず笑ってしまうし、不快にもなりません。
先生、それでよく「甦れ、ロシアサッカー!」を執筆されましたね。感心しました。というのは、それでも「甦れ、ロシアサッカー!」は実に適確なロシアサッカー紹介になっていたからです。
エッセイは、サッカーのことというより、ゼニットのホームスタジアムが現在のペトロフスキースタジアムから2010年には今は亡き黒川紀章デザインのガスプロム・アリーナになるよっていうネタ。

そのニ
『バーデンバーデンの夏』の167ページに、突然出てくる「ゼニート」。
但し、こちらは1970年代の、だからサンクト=ペテルブルクではなく、レニングラード。
ディナモ・モスクワ(沼野恭子先生の訳では<モスクワの「ジナモ」チーム>)がゼニット・レニングラード(同:<レニングラードのチーム「ゼニート」>)と対戦して、といっても、これはサッカーではなくアイスホッケーの選手たちでした。
この小説、ドストエフスキー夫妻が新婚旅行をしたバーデン・バーデンの夏と、「私」による1970年代の冬のロシアの汽車旅が、溶け合って進んでゆく、不思議なもの。
1970年代、レニングラード。ここに住まう人(女性ばかりだ)のつましく優しい様子が胸を打つ。なぜ?この時代、私はこの町に生きていたわけでは全然ないのに、この懐かしくてたまらない感覚は何?    
              

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