ニッショーホールでのケン・ローチの新作「この自由な世界で」の試写会に行った。
ニッショーホールとは消防会館なのであって、去年の同じ日には「オフサイド・ガールズ」の試写会に行ったのでした。
さて、「この自由な世界で」。
ポーランドのカトヴィエに始まり、ウクライナのキエフで終わるこの映画の中で、シングル・マザーのヒロインは逆境の中でもたくましく生き抜いていくのだが、そのやり方はちょっとやり過ぎの感あり。
「罪」という言葉は、ロシア語では「踏み外す→一線を越えてしまう」みたいな成り立ちをしているが、このヒロインはまさにその一線を越えてしまうのだ。
「自分(及び息子)が生きていくために」がむしゃらになり、いつしか「自分が負け犬にならないためには他人の犠牲は仕方ない」という感覚に陥ることによって。
それは違うよ、というまともな感性を持って諭してくれる人が彼女にはいる。父親・同僚・ポーランド人のボーイフレンド。
不法移民の密告のシーンで同僚が「そういうことまでする<自由>があると思っているのか?」と言うと、「たぶんない」と答える。(でもしてしまう、罪深さ!)
私はコンサバな感覚の持ち主なので、こういうヒロインを理解できるか、共感できるかと問われれば「できない」と答える。
ただでさえ、グローバリズムとか新自由主義とかが嫌いな私である。
案外周囲の人には恵まれているし、踏みとどまり、引き返すチャンスは何度もあったのに、それでもあなたはキエフに来たのか。
学んでいないというか、学び過ぎてしまったというか。
もう一度、『ハードワーク~低賃金で働くということ』や『ニッケル・アンド・ダイムド~アメリカ下流社会の現実』などと読み返さなければ、という思い。
それに、不法移民の労働力に支えられている社会という点では、日本に生きる私にとっても決して他人ごとではないのだ、という思い。
しかしまあ、最近「題名のない子守唄」「イースタン・プロミス」など、旧ソ連・旧東欧圏移民+犯罪がらみの作品が続いていて、「ニノの空」「モンディアリート」など90年代の作品とはちょっと違った<西欧の東欧観>がうかがえる。一言で言うと、「東欧人=貧しい、ゆえによく働き、ばかに人がいい」ではなく、むちゃくちゃな金持ちもなぜかいる。にしても、彼らも普通の人たちだということがより自然に描かれるようになったように思える。
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