2011年3月5日土曜日

訳詩の問題(2008/01/26 13:28:53)

翻訳は難しい。
私が日ごろやっている(勿論道楽でである)のはサッカーの記事。
ロシアのサッカー記事は、「スポーツ記者」というよりは「スポーツ・ジャーナリスト」が書いているので、文学的な凝った表現、古典文学作品からの引用もよくある(みたいだ。そういう知識があまりないもので、スルーしてしまっていることが多い)。とはいえ、基本的には数の表現とポジションやいくつかの用語、あとは固有名詞(人名・クラブ名・地名)とそこから派生した形容詞などを覚えれば、何となくはわかる。重要なのは語学以外の知識であることの方が多い。アンドレイ・カリャカはどういう選手なのか、セルティックはどういうクラブなのか、ポルトガルのサッカーはどういう特徴があるのか、等々。
そんなわけで、何といっても文学や芸術中心の日本のロシア語界では、スポーツ記事などは軽く見られている。実際需要も殆どないから仕方ないです。
もうだいぶ前になるけれど、黒田先生の授業で「お料理本を訳す」というのがあった。個人的にはこれは大変だった!サッカー記事だったら、「こんな風な試合だったのか」「こういうプレイだったのか」と想像しながら訳しているものが、お料理ではそういう想像力がさっぱり働かない。要は私はお料理が不得手なので、訳していても馴染みのないことばかり。どういう手順でどんな料理になるのやら全然わかっていなかった。(訳した後、実際にお料理をつくってみる、なんてことをやらなかったのは言うまでもない。)一緒に学んだ同級生たちは嬉々として訳していたように思うが、私は四苦八苦するばかりだった。けれど、私以外の方たちは優秀だった。そのうちのお一人はすばらしいロシア料理の本を上梓!
『豊かな大地の家庭の味~ロシア料理』『家庭で作れるロシア料理』『ロシアの郷土料理~大地が育むユーラシアの味』
さて、ここからが本題。お料理の訳よりなお難しいと感じるのはロシア詩の訳。これはお手上げですね。
プーシキンとかレールモントフとか、日本語に訳してもいまいちぴんと来ない。原語のまま覚えるのが一番。
もっともこれはロシア語の問題ではなく、詩というものの性質上のものであって(日本語の詩だってどう鑑賞してよいものかと戸惑うことが多い)、外国語の詩を訳すのは至難の業であり、訳されたものを理解して感動するのも大変なことなのでしょう。
前振りが非常に長かったのですが、その点、アルセーニー・タルコフスキーの『雪が降る前に』は元々の詩がよいのか、訳(坂庭淳史)がすばらしいのか、たぶんその両方なのでしょう。スタンダードで適度に抒情的、要するにわかりやすい作風です。
私の祖父は、とある言語で詩を作り、作るだけならまだしも、詩集にして出してしまったりしている。祖母に言わせれば「若き日のカール・マルクスの詩のように酷い」ものであり、母も私も同じ評価を下している(母も私もその言語を解しないので、日本語に訳した詩を読んでそう判断しているのだけれど。あと、マルクスが若い頃つくったとかいう詩は一つ二つしか読んでいない)。今でも、祖父の詩がネット上でみつかってしまうことがあり、そういうときは顔から火が出そうなほど恥ずかしい・・・。
しかーし!アルセーニー・タルコフスキーはいい!久々にいい詩をみつけた気がする。

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