2011年3月5日土曜日

チェーホフ、ヒトラー、レーニン(2008/02/02 18:56:29)

ソクーロフの「牡牛座~レーニンの肖像」を観に行った。
レーニンの晩年の一日。悲しい。このとき、ロシアは、世界は、どうなっているのか、全く隔絶されたところで、ただただ苦しみ悶えている病人のレーニン。それはもう、容赦なくリアルな描写です。
これに比べれば「太陽」の昭和天皇も、「モレク神」のヒトラーも、まだ手加減していたな、と感じます。
 
ソクーロフって私はあまり好きではなかった。退屈でわからないから。
これがロシア映画だと思われたら困るなあ、といつも思っていた。
でも最近はソクーロフも割と普通っぽい作品を作るようになってきた。「エルミタージュ幻想」や「ロストロポーヴィチ~人生の祭典」なんかはあまりソクーロフ色が濃くないでしょ?
「太陽」も、いろいろ気を遣ったのだろうなあ、題材が題材だけに。
 
ユーロスペースの「ソクーロフに戯れる」特集では、初期ソクーロフの、それこそソクーロフソクーロフしていた頃の作品も一挙上映であったのだが、私が観に行けたのは「痛ましき無関心」と「モレク神」だけだった。
「痛ましき無関心」はバーナード・ショーの原作を読んでいないので確かなことは言えないが、ミハルコフの「機械仕掛けのピアノのための未完成の戯曲」みたいだった。特に結末は「プラトーノフ」や「ワーニャ伯父さん」「かもめ」・・・いずれにしろチェーホフみたいだった。ソクーロフにしてはかなり台詞が多い。
「モレク神」はもっとソクーロフの原点のような、「ゲージツ的」なものだった。よくわからなくて、眠たくなる。ソクーロフって、全体としてはもやもやとよくわからない風なのに、細部はばかばかしいくらいレアリスムなんですよね。決して嘘はついていないの。ヒトラーもその側近の人たちもきっと似ていたのだろうなあ。
 
そして今日の「牡牛座」なのですが。
レーニンを演じたレオニード・モズゴヴォイ。うっひゃ~!
この人、レーニンじゃないですか。先週はヒトラーをやっていたのに!もちろん役者ってそういうものかもしれないけれど(私の父だって俳優のはしくれなので、児童劇での狼さんや樫の木(「青い鳥」)から「ファウスト」のメフィストフェレスまで演じているけど)、ほんとにレーニンそのものに見えるわ!
陳腐な言い方だけど、「演じ分けている」のではなく、「そのものになっている」と言ってよい。
モズゴヴォイ、「ストーン~クリミアの亡霊」では、チェーホフ(の亡霊)を演っていたりもする。チェーホフとヒトラーとレーニンが同一人物!
クループスカヤやマリヤ・ウリヤーノヴァの顔などはよく知らないけれど、まあこんなものなのではないかな。(クループスカヤについては、別項で書くつもりではいます。)
スターリン(役の人)は、そこまでは似ていなかったかもしれない。
全体に、ロシアっぽく、ソクーロフっぽくて(やはり途中でうつらうつらしました)、世間様にちっとも妥協的でなくて、快いものがありました。
あれ?私、ソクーロフが好きではなかったのに・・・?
そうなの。「ナイトウォッチ」とか「大統領のカウントダウン」とかも否定する気はないけれど、ロシアっぽさが薄いとなんか不満を感じるのですよ。
それに、ソクーロフ映画を見続けてかれこれ15年、ようやく慣れてきたのかしら。
プログラムは1200円もしました!(「モレク神」が1600円だから、このところかなりの散財です。)
当然かもしれないけれど、皆ソクーロフ、ソクーロフと称えています、が、私はモズゴヴォイ以下俳優さんたちを評価したものが載っていてもよかったのに、と思いました。
 
私は基本的に通俗的にわかりやすい作品が好き。文芸作品とかを含めて。だから、ミハルコフとかが好きです。
 
観終わったら、今日もぴあの出口調査がありました。今日は80点。このうち、モズゴヴォイに50点、その他の俳優たちに20点、ソクーロフらスタッフに10点。
そのあと、「レゴで作った世界遺産展PartⅡ」に行きました。
撮ったのは携帯で、あまりよく撮れていません。
イスタンブールやブレーメンやピサの斜塔の写真も撮ったはずなのに、保存し忘れていたようです・・・。

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