書きそびれてしまっているのですが、今年最初の観劇は、両国のシアターχでの劇団キンダースペースの公演「チェーホフ的チェーホフ」でした。
『中二階のある家』『ロスチャイルドのヴァイオリン』『六号室』『大学生』『往診中の出来事で』『すぐり』などのチェーホフの短編が舞台上で並行的に進行するという作りの演劇です。オムニバスではありません。
おもしろい試みではありましたが、それがツボにはまったと言えるほど成功しているかというと、疑問符をつけざるを得ません。
ちょっとあれこれ詰め込みすぎた感もあります。
『ロスチャイルドのヴァイオリン』や『大学生』などは、私は大好きで思い入れもある作品なので、もっとじっくり演じられているものを観たかったと、あまりにせわしない感じだったという印象が残ります。(『ロスチャイルドのヴァイオリン』のヤーコフもロスチャイルドもなかなかよい演技をしていたと思えるだけに、細切れになっていたのが残念だ。)
この前の日曜日には劇団銅鑼の「ハイ、奥田製作所」を俳優座劇場に観にいきました。
劇団銅鑼は、演出が生真面目で、ちょっと真面目すぎて堅苦しいなあ、と思うこともよくあったのだけど、最近の「エイジアン・パラダイス」あたりから、肩の凝らない、それでいて今の日本をしっかりみつめる、いい劇を見せてくれるようになってきているように思います。
この劇も、大田区の中小企業(零細企業か?)の、「プロジェクトX」的な面もなくはない、苦悩と再生のストーリー。町工場のお話なので、女性たちの存在感が弱いのが気にはなりますが、「オヤッサン」こと頑固な職人気質の社長(鈴木瑞穂さん、何と80歳とは思えない若々しさ!)、改革しようと試みながらなかなか親を越えられなくて苦悩する二代目、そして社員の面々を、ベテラン・中堅・若手の俳優たちが生き生きと演じていました。
しかし、やっぱり、親っていうものはなかなか超えられない偉大な存在なのだね・・・と改めて思うものでありました。
私は両親とは全く違う業種で働いているので、日常の働く場で実感するということはあまりないのだけれど。
(だけど、とにかく芝居を観ることが好きで、月1回は観ないと喉が渇いた感覚になるというあたりは、役者の親の影響だ。)
劇団銅鑼の次回作が「ハンナのかばん」(仮題)だと知って、これには期待したい!
ロングヒット「センポ・スギハァラ」に続くホロコーストもの(しかも日本人も絡む)。
ですので、この場でもささやかに宣伝めいたことを。
数年前の夏、この「かばん」を観に、千駄ヶ谷の資料室に行ってきました。(現在は、資料室での展示はしていないようです。)
石岡さんのお話を聞き、本を読んで知ったことなのですが、この「かばん」の持ち主だった女の子の名前は、ほんとうは「ハンナ(Hanna)」ではなく、「ハナ(Hana)」なのです。
チェコスロヴァキア(当時)生まれの子なので、チェコではありふれた女性の名前「ハナ(Hana)」が正しいのです。
家族の中で一人生き延びた彼女のお兄さんは、後にかばんに書かれた「ハンナ(Hanna)」という字を見て、
「これは妹のかばんだけれど、この字を書いたのは妹自身ではない。妹が自分の名前をハンナ(Hanna)というはずはないから。おそらく収容所の人がドイツ人で、ハナというチェコの名前をドイツ風にハンナ(Hanna)と聞き取ってかばんに書いたのだろう」
と話したといいます。
今さら無理かもしれないけれど、彼女の正しい名前「ハナ」を取り戻してあげてほしい。
ドイツ風に変えられた「ハンナ」ではなく。
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