昨日はアップリンクにソクーロフの「マザー、サン」を観に行った。疲れた。
前日の記事にも書いたが、黒田先生に「(ロシア語を勉強するのには)映画を観るのもよいことです」と言われて、一応はその気になったのでした。
ただ、先生の推奨方法としては、まずは読書!映画については補助的にという感じ(だから「映画を観るのも」なのです)。
そのころ日本で公開されていたロシア映画は、ソクーロフの「マリア」「静かなる一頁」「セカンド・サークル」、カネフスキーの「動くな、死ね、甦れ!」「ひとりで生きる」「ぼくら、20世紀の子供たち」、ボドロフ(ただ今「モンゴル」が公開中)の「自由はパラダイス」「モスクワ、天使のいない夜」等々、ソ連崩壊直後のロシアの世情を反映してか暗~くよどんだ雰囲気が濃厚で、まあそれはそれでよいのだが、登場人物がしゃべる台詞はぼそぼそしていて全然聞き取れない!!
結論:映画は映画として鑑賞するものであって、「語学の勉強のため」に観るものではない。
(これはお芝居、生舞台の鑑賞でも同じです。)
今では、例えば「ラフマニノフ~ある愛の調べ」とか「蒼ざめた馬」とか観に行って、それなりにロシア語の台詞は聴き取れたような気にはなれるけれど、作品を鑑賞するのに「ロシア語を聴きとろう」という野心というか下心を持って観ていてはいけないな、と思います。字幕の日本語が変だぞ!という突っ込みも、ほんとはあんまりすべきではないでしょう。(でも、すっごく酷い字幕翻訳が、時としてあるのは事実。英語かなんかからの重訳なのか??)
で、「マザー、サン」なのですが、やっぱり台詞はぼそぼそしていて、映像はもろにソクーロフ節で(スローモーションのような長まわし、歪んだ画像)、観始め10分くらいで早くも疲労が押し寄せる!いらいらが募る!「はっきり言えよ~!」「先に進め!」とか言いたくなるせっかちな私。ああ、ソクーロフも「エルミタージュ幻想」や「太陽」ではだいぶ普通になってきたけれど、この当時はまだまだソクーロフがソクーロフたりし頃だったんだなあ・・・。
これ、まさに「ロシア語を聴きとろう!」なんて思って観るには向かない映画だわ。
というわけで、観終わってすごく疲れていました。でも!途中で睡眠しませんでした!立派!!
「マザー、サン」。最後はしみじみ感動します。言葉にならないくらい。ラストで感動させるために、さんざん引っ張るのですね。
0 件のコメント:
コメントを投稿