注)これは、今年の「寒中お見舞い」に添えた文章です。
今回は、またまた手抜きっぽく、こういう企画です。
↓
映画「それでも生きる子供たちへ」私が選ぶなら、この7人
(2003年お正月に書いた「「セプテンバー11」私が選ぶなら、この11人」と同じく、オムニバス映画の監督を私が選ぶなら、という企画第二弾)
1.まずは絶対に、キーラ・ムラートヴァ(ロシア)!
ヴラジーミル・ガラクチオーノヴィチ・コロレンコ作『悪い仲間』(『悪い仲間/マカールの夢』岩波文庫収録)を原作とした「灰色の石の中で」の凄まじさは、「それでも生きる子供たちへ」に最もふさわしい。(「灰色の石の中で」は、チェチェン紛争下のロシア・チェチェン両民族の子どもたちの結びつきを描いた「金色の雲は宿った」との二本立てで観て、号泣してしまった作品です。)
2. ドロタ・ケンジェジャフスカ(ポーランド)
短編映画「グーチャ」のほのぼのとした幼い初恋の風景、日本でも公開された「僕のいない場所」の愛し愛されたい肉親からの拒絶に苛む少年(それは愛する者を奪われた憎しみを直接向ける相手があった「僕の村は戦場だった」のイワン少年よりもある意味深い悲しみを湛えている)を描く、シャープな、それでいて繊細な映像美。
3.サミラ・マフマルバフ(イラン)
「ブラックボード」「午後の五時」 いつまでも、そのパワーを持ち続けていてほしい。
4.バフマン・ゴバディ(イラン)
「酔っ払った馬の時間」「亀も空を飛ぶ」 彼の映画に登場する子どもたちは、あまりにも苛酷でつらい限りなのですが、目をそむけずに。
5.ケン・ローチ(イギリス)
硬派な労働者ものに傑作の多いローチですが、「ケス」「Sweet Sixteen」「明日へのチケット」等少年を扱っても秀逸です。できればサッカーがらみの作品をお願い。少年ものと言えば、「少年、機関車に乗る」「スーツ」のバフティヤル・フドイナザーロフ(タジキスタン)なのですが、「セプテンバー11」のときに名前を挙げてしまったので、今回は残念ながらカウントしません。
6. ラッセ・ハルストレム(スウェーデン)
「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」「やかまし村の子どもたち」「やかまし村の春・夏・秋・冬」、ただハリウッドに移ってからが「ギルバート・グレイプ」「ショコラ」「シッピング・ニュース」…ちょっと違う方向に行っているかもしれません。
最後の一人は故人(反則だけど)、
7.ロラン・ブィコフ(ロシア)
俳優としては「外套」のアカーキー・アカーキエヴィチ、「死者からの手紙」での核戦争後の世界で子どもを守る優しいおじいさん、「道中の点検」での人情派隊長が忘れられませんが、「転校生レナ」「がんばれ亀さん」等児童映画の監督としてもすぐれた作品を残しました。
ちなみに映画「それでも生きる子供たちへ」本編(必見!!)は、この7人です。
「タンザ」メディ・カレフ(アルジェリア)
「ブルー・ジプシー」エミール・クストリッツァ(セルビア・モンテネグロ)
「アメリカのイエスの子ら」スパイク・リー(アメリカ)
「ビルーとジョアン」カティア・ルンド(ブラジル)
「ジョナサン」ジョーダン・スコット、リドリー・スコット(イギリス)
「チロ」ステファノ・ヴィネルッソ(イタリア)
「桑桑(ソンソン)と子猫(シャオマオ)」ジョン・ウー(中国)
追記:それでも生きる大人たちへ、これも見ときなさい!の作品群(映画も、本も)
★『賛美歌にあった「君が代」』石丸新著新教出版社
知識としては知っていた。日本のキリスト教徒が戦時中国家神道に対して妥協的な態度をとり、のみならず日本が占領した地域、アジアのキリスト教徒に対しても天皇崇拝を薦める側にまわっていたこと。無論、そういった態度は教義上根幹から誤っていると指摘し、自らの信条を貫き、中には殉教した人もいたけれど、あくまでも少数であり、当時の信徒の大半はそうではなかった。…けれども、それはまだまだ他人事だった。この本の中に、自分の遠縁の人の名を見つけるまでは。その人は、多数の讃美歌を訳詩(というよりも実質創作)し、そのうちの数曲は現行讃美歌に収められています。でもそれは、現在の感覚で言えば相当に国家主義的な内容で、苦笑せずにはいられない。これをアジアの信徒たちに歌えと勧めていたのかと思うと、心が苦しくなる。竹本源治「戦死せる教え児よ」の「君を縊ったその綱の 端を私も持っていた」のフレーズ、リヒターの遺作『ぼくたちもそこにいた』が思い起こされます。
★映画「ナビゲーター~ある鉄道員の物語」ケン・ローチ監督(イギリス・ドイツ・スペイン2001年)
硬派のローチ作品の中でも際立って辛口の容赦ないラスト。もはや救いようのないような、個々ばらばらになった労働者たちの姿、必然的に起こった悲劇、このあと彼らは罪悪感を贖えるのだろうか?
★映画「君の涙ドナウに流れ~ハンガリー1956」
とんでもない邦題ですね。タイトルの前半は無視してください。涙はドナウに流れませんので。56年のハンガリー事件と、直後のメルボルン五輪の水球の試合ハンガリー対ソ連戦での流血事件を元にしたフィクションです。水球の場面がもっと多かったら(恋愛場面はやや冗長にして平凡)、そして日本で水球と言えば吉川晃司なのでコメントをとっておけばいいのに、などと思いますが、プシュカシュが登場する(半分嘘)「ウイニングチケット」よりはまともな歴史映画になっています。
★映画「海が満ちる時」
「EUフィルムデイズ」で、実を言うと「海を飛ぶ夢」と間違えて観に行ってしまったのだけれど、何の予備知識もないまま観ていて引き込まれた魅力的な作品。中身はラヴストーリー、一人芝居をしている中年女性と勝手気ままな生活をしている若者(プルシェンコ似)のチェーホフ的なというのかブーニン的なというのか、あてどない恋、というそれだけ。DVD化されていないようなので、観られる機会は稀少。
★『ロリータ、ロリータ、ロリータ』若島正著
私は断言するけれど、世にナボコフの『ロリータ』を読破した人はあまりいない。それを若島先生は「何度も読み返すべき本だ」と力説する。確かにこの本を読むと、そうすべきなのだろうなあ、読み落としていることがこんなにあったか、と気づかされる。文学の講読とはかくあるべき、という一冊。
★NHKラジオロシア語講座応用編「ゴーゴリの『鼻』を読む」井上幸義先生
現在(2007年10月~2008年3月)放送中の応用編講座。かくあるべき講読のかたち。できれば『鼻』全文を扱っていただきたかった。細かい細かい解説が親切。懐かしいです。また、原文を朗読する俳優さんには舌を巻きます。
今回は、またまた手抜きっぽく、こういう企画です。
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映画「それでも生きる子供たちへ」私が選ぶなら、この7人
(2003年お正月に書いた「「セプテンバー11」私が選ぶなら、この11人」と同じく、オムニバス映画の監督を私が選ぶなら、という企画第二弾)
1.まずは絶対に、キーラ・ムラートヴァ(ロシア)!
ヴラジーミル・ガラクチオーノヴィチ・コロレンコ作『悪い仲間』(『悪い仲間/マカールの夢』岩波文庫収録)を原作とした「灰色の石の中で」の凄まじさは、「それでも生きる子供たちへ」に最もふさわしい。(「灰色の石の中で」は、チェチェン紛争下のロシア・チェチェン両民族の子どもたちの結びつきを描いた「金色の雲は宿った」との二本立てで観て、号泣してしまった作品です。)
2. ドロタ・ケンジェジャフスカ(ポーランド)
短編映画「グーチャ」のほのぼのとした幼い初恋の風景、日本でも公開された「僕のいない場所」の愛し愛されたい肉親からの拒絶に苛む少年(それは愛する者を奪われた憎しみを直接向ける相手があった「僕の村は戦場だった」のイワン少年よりもある意味深い悲しみを湛えている)を描く、シャープな、それでいて繊細な映像美。
3.サミラ・マフマルバフ(イラン)
「ブラックボード」「午後の五時」 いつまでも、そのパワーを持ち続けていてほしい。
4.バフマン・ゴバディ(イラン)
「酔っ払った馬の時間」「亀も空を飛ぶ」 彼の映画に登場する子どもたちは、あまりにも苛酷でつらい限りなのですが、目をそむけずに。
5.ケン・ローチ(イギリス)
硬派な労働者ものに傑作の多いローチですが、「ケス」「Sweet Sixteen」「明日へのチケット」等少年を扱っても秀逸です。できればサッカーがらみの作品をお願い。少年ものと言えば、「少年、機関車に乗る」「スーツ」のバフティヤル・フドイナザーロフ(タジキスタン)なのですが、「セプテンバー11」のときに名前を挙げてしまったので、今回は残念ながらカウントしません。
6. ラッセ・ハルストレム(スウェーデン)
「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」「やかまし村の子どもたち」「やかまし村の春・夏・秋・冬」、ただハリウッドに移ってからが「ギルバート・グレイプ」「ショコラ」「シッピング・ニュース」…ちょっと違う方向に行っているかもしれません。
最後の一人は故人(反則だけど)、
7.ロラン・ブィコフ(ロシア)
俳優としては「外套」のアカーキー・アカーキエヴィチ、「死者からの手紙」での核戦争後の世界で子どもを守る優しいおじいさん、「道中の点検」での人情派隊長が忘れられませんが、「転校生レナ」「がんばれ亀さん」等児童映画の監督としてもすぐれた作品を残しました。
ちなみに映画「それでも生きる子供たちへ」本編(必見!!)は、この7人です。
「タンザ」メディ・カレフ(アルジェリア)
「ブルー・ジプシー」エミール・クストリッツァ(セルビア・モンテネグロ)
「アメリカのイエスの子ら」スパイク・リー(アメリカ)
「ビルーとジョアン」カティア・ルンド(ブラジル)
「ジョナサン」ジョーダン・スコット、リドリー・スコット(イギリス)
「チロ」ステファノ・ヴィネルッソ(イタリア)
「桑桑(ソンソン)と子猫(シャオマオ)」ジョン・ウー(中国)
追記:それでも生きる大人たちへ、これも見ときなさい!の作品群(映画も、本も)
★『賛美歌にあった「君が代」』石丸新著新教出版社
知識としては知っていた。日本のキリスト教徒が戦時中国家神道に対して妥協的な態度をとり、のみならず日本が占領した地域、アジアのキリスト教徒に対しても天皇崇拝を薦める側にまわっていたこと。無論、そういった態度は教義上根幹から誤っていると指摘し、自らの信条を貫き、中には殉教した人もいたけれど、あくまでも少数であり、当時の信徒の大半はそうではなかった。…けれども、それはまだまだ他人事だった。この本の中に、自分の遠縁の人の名を見つけるまでは。その人は、多数の讃美歌を訳詩(というよりも実質創作)し、そのうちの数曲は現行讃美歌に収められています。でもそれは、現在の感覚で言えば相当に国家主義的な内容で、苦笑せずにはいられない。これをアジアの信徒たちに歌えと勧めていたのかと思うと、心が苦しくなる。竹本源治「戦死せる教え児よ」の「君を縊ったその綱の 端を私も持っていた」のフレーズ、リヒターの遺作『ぼくたちもそこにいた』が思い起こされます。
★映画「ナビゲーター~ある鉄道員の物語」ケン・ローチ監督(イギリス・ドイツ・スペイン2001年)
硬派のローチ作品の中でも際立って辛口の容赦ないラスト。もはや救いようのないような、個々ばらばらになった労働者たちの姿、必然的に起こった悲劇、このあと彼らは罪悪感を贖えるのだろうか?
★映画「君の涙ドナウに流れ~ハンガリー1956」
とんでもない邦題ですね。タイトルの前半は無視してください。涙はドナウに流れませんので。56年のハンガリー事件と、直後のメルボルン五輪の水球の試合ハンガリー対ソ連戦での流血事件を元にしたフィクションです。水球の場面がもっと多かったら(恋愛場面はやや冗長にして平凡)、そして日本で水球と言えば吉川晃司なのでコメントをとっておけばいいのに、などと思いますが、プシュカシュが登場する(半分嘘)「ウイニングチケット」よりはまともな歴史映画になっています。
★映画「海が満ちる時」
「EUフィルムデイズ」で、実を言うと「海を飛ぶ夢」と間違えて観に行ってしまったのだけれど、何の予備知識もないまま観ていて引き込まれた魅力的な作品。中身はラヴストーリー、一人芝居をしている中年女性と勝手気ままな生活をしている若者(プルシェンコ似)のチェーホフ的なというのかブーニン的なというのか、あてどない恋、というそれだけ。DVD化されていないようなので、観られる機会は稀少。
★『ロリータ、ロリータ、ロリータ』若島正著
私は断言するけれど、世にナボコフの『ロリータ』を読破した人はあまりいない。それを若島先生は「何度も読み返すべき本だ」と力説する。確かにこの本を読むと、そうすべきなのだろうなあ、読み落としていることがこんなにあったか、と気づかされる。文学の講読とはかくあるべき、という一冊。
★NHKラジオロシア語講座応用編「ゴーゴリの『鼻』を読む」井上幸義先生
現在(2007年10月~2008年3月)放送中の応用編講座。かくあるべき講読のかたち。できれば『鼻』全文を扱っていただきたかった。細かい細かい解説が親切。懐かしいです。また、原文を朗読する俳優さんには舌を巻きます。
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