2011年3月5日土曜日

タイムマシンにおねがい(2008/03/02 19:15:19)

『「カラマーゾフ兄弟」の翻訳をめぐって』を書こうというきっかけは「嘘は嘘の父」の部分だったとのこと(同書「はじめに」より)。
「言うまでもなくесмьはбытьの一人称単数現在形の形であり」って、「言うまでもなく」と言われるほど私には言うまでもないことではなかったのだ、まず。著者の大島さんは「私はロシア語学び始めて半年くらいでесмьの形を知った。」そうですが、正直言って私は、習ったのかもしれないけれど記憶にない。露和辞典でбытьの項を引くと、確かに載っていて、おそらく先生はбытьの説明の時にесмьのことも教えてくださったのだろうが。
辛うじて頭の隅に引っ掛かっていたのは、古文の苦手なヤーキンさん!ブルガーコフの、というより、ガイダイの映画で知られる「イワン・ワシリーエヴィチ、職業を替える」の登場人物。タイムマシンでソ連時代のモスクワに現れてしまったイワン雷帝に「汝は何者ぞ」と問われて、「Азъ эсмь・・・(私は)」と古文(ロシア語の)を口ごもる映画監督さん。
というネタは我らがイワン・ワシリーエヴィチ・クロダこと、黒田龍之助先生の『羊皮紙に眠る文字たち』の「タイムスリップしたらこまること」。
『カラマーゾフ』のесмьはбытьの一人称単数現在形。ヤーキンさんのэсмьはбытиの一人称単数現在形。ちょっと違うのです。
つまり、бытьは現代ロシア語の連辞の動詞。その活用は、
есмь
есмы
еси
есте
есть
суть

一方бытиは中世ロシア語の連辞の動詞。こっちの活用は、
эсмь
эсмъ
эси
эсте
эсть
сутъ

いつかこの『イワン・ワシリーエヴィチ、職業を替える』が訳される日を夢見て、この古風な文法もこの際覚えておこうっと。
ところで、黒田先生も「このタイトルでは」と躊躇されているので、勝手邦題を思案しますに、当初は「タイムマシンにおねがい」を思いついたのですが、既にアメリカのドラマの邦題に使われてしまっていたのね。もっといいタイトルがないかしらねえ。

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